ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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新西国霊場巡礼第15番 新京極 誓願寺
新西国霊場巡礼第15番 新京極 誓願寺
京都府京都市中京区新京極桜の内町453
京阪電車三条駅から徒歩10分
本尊 阿弥陀如来像 十一面観世音菩薩像 開基 天智帝の御宇
 
御詠歌
人波に おされながらも 誓願寺 心にふかく 頼みきにけり

繁華街の現代的霊場

 ここ誓願寺は京都市の繁華街新京極のど真ん中にある近代的な建屋の小さな寺です、しかし創建は古く今から1300年余の昔、天智天皇の勅願によって、当時の仏彫師 賢間子、芥子国という父子の合作の霊像を祀った寺で大和の國に建てられた。
その後都が京に移転されたので、平安遷都ともに伏見深草に移設された寺で、その後度重なる災害の度に、移転を余儀なくされ現在の地に移ったのが1588年という、当時大きな寺地を有し、七堂伽藍が建ち、塔頭の多数あったようです。
寺は念仏女人往生の先駆けとして枕草子の作者清少納言がここで仏門に入ったそうです。また同じく平安時代の才媛和泉式部もここで髪を下している。そんなわけで女性には人気の寺です、女性に人気の寺は人気投票には強い。
寺自体はその後の3度の大火と明治の改革で寺地は没収され狭くなったそうですが、浄土宗深草派の総本山として法然上人、西山国師、円空上人の大遠忌を営んでいる。
 なおここ誓願寺は落語発祥の地としても有名で、境内には扇塚があり芸道上達の寺として、たくさんの扇が奉納されている。

若者が集まる妙の繁華街新京極
中央に見えるのが誓願寺に山門
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格式を感じる山門
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モダンな本堂
昭和39年建造の鉄筋コンクリート製
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本尊阿弥陀如来像
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扇塚
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芸上達を祈願して奉納された扇
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珍しい地蔵さん
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地蔵さんお上にある鐘楼
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阿弥陀如来の前で踊りが
芸祈願の寺らしい
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新西国霊場巡礼第14番 根本山 神峯山寺
新西国霊場巡礼第14番 根本山 神峯山寺
大阪府高槻市原3301
JR京都線高槻駅から市バス上の口行終点より徒歩30分
本尊 毘沙門天 開基 役小角

御詠歌
神峯の山 すずしき音の かよひ来て こころの底に 響く瀧つせ

日本最初の毘沙門天霊場

 ここ神峯山寺は先週アップした安岡寺の北にあり、同じバスルートです。さてここ神峯山寺は役小角が神のお告げの霊木で毘沙門天を刻み、祀ったのが始まりとされ、日本最初の毘沙門天霊場です。このとき同じ霊木で刻んだ、毘沙門天像は4体で、ここ神峯山寺のほかに京都鞍馬寺、河内信貴山と神峯山寺の元奥の院(今は本山寺)に祀られている。
先週の安岡寺開基開成皇子が父光仁天皇の命により、神峯山寺の住職になり、皇室の庇護で七堂伽藍をはじめ多くの僧坊が建てられた。当時は皇室の信仰も厚く、歴代天皇の祈願所にもなり、皇室の紋章である十六弁菊の紋章の使用を認められていた。今でもその紋章は朱印に使われている。
寺は江戸時代に創建時の神峯山寺は焼失しているが、すぐに再建されているが、昔の面影はないとのことです。寺は今は紅葉の隠れた名所として人気がありますが、なぜ人気投票で選ばれたかわかりません。寺はかなり登ったところにあり、バス停から急な坂道を登らねばなりません。紅葉の時期に再参拝したいが

上の口バス停から歩くとこの石標
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石標から参道を進むと鳥居が
ここからが本格的な参道ですが、鳥居とは
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さらに進むとこんな鳥居が
勧請掛と呼ばれる大阪商人が米価を占った
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何か重厚な山門
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山門から続く紅葉の参道
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本堂
毘沙門天と平安時代の作とされる聖観音像と阿弥陀如来像が
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観音堂
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十三重石塔
開成皇子の父光仁天皇の分骨が
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開山堂への石段
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開山堂
何故注連縄が
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新西国霊場巡礼客番 南山高槻観音 安岡寺
新西国霊場巡礼客番 南山高槻観音
大阪府高槻市浦堂本町41-1
JR京都線高槻駅から市バス上の口行バス浦堂下町下車徒歩10分
本尊如意輪観世音菩薩像 開基 開成皇子

御詠歌
如意の輪は 願ひのままに めぐりきて 身を安岡の 寺におかばや

開成皇子 自ら観音像を刻む

 ここ安岡寺は客番の寺です、今まで客番の寺は清水寺、観心寺とありましたが、2つとも前の寺の客番、すなわち清水寺は四天王寺、観心寺は金剛寺のという風に思っていたのですが、ここ安岡寺は次の寺神峯山寺との関係があるのではと思える。というのはここ安岡寺のまたの名が南山観音、つぎの神峯山寺が北山観音といわれている。しかしよく考えると場所が近いだけのような気もします、客番はあくまでも新西国霊場の客番であるはずです。
さて寺ですが桓武天皇の兄君の開成皇子が、この地が聖地であると思われて、自ら観音像を刻み、宝亀6年(相当古い)に建立した寺です。現在の本堂はキリシタン大名の高山右近によって荒らされたが、後に再建されている。
明治の廃仏毀釈によって伽藍はほとんどなくなったが開山堂と観音堂は残された。観音堂には十一面観世音菩薩像があり、平安時代の代表的な仏像として重文に指定されている。
最期にここに参拝するには大変でバス停から表参道を歩くと山門に続く、長い急階段が続いています、裏参道を歩くと距離は短いかいですが、急坂が待ち受けています。それでも人気があるようで人が三々五々訪れています。

寺名がかかれた石標
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古びた感じのしない山門
年代的には古い門、寺では山門と呼ばず総門と呼ぶそうです
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石畳の石段
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正面から見た本堂
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こちらからの方が格式がある本堂
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青梅観音堂と鐘楼
廃寺となった青梅寺の本堂
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叶観音堂
最近建立
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大護摩供が行われる広場
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その時の御祭神“弘紹不動明王”
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西山門
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新西国霊場巡礼第13番 神秀山 満願寺
新西国霊場巡礼第13番 神秀山 満願寺
兵庫県川西市満願寺町7-1
阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅下車愛宕が原ゴルフ場行バスで満願寺下車すぐ
本尊 千手観世音菩薩 開基 勝道上人

御詠歌
むら雲は あとなくはれて 寺の名の 願ひに満つる もちの月の夜


諸願満足の霊場
 
 
 
 ここ満願寺は聖武天皇の勅願で全国60余州に諸願満足の霊場を建立させた勝道上人が摂津の國満願寺として開いた寺です。この寺は源満仲が摂津守として多田に居を構えことから、この寺に帰依し,多田源氏ゆかりの寺として有名になったようです。
新西国の人気投票で人気を博すほどの理由は見当たらないが、境内には年代の古い伽藍や仏像がたくさんあります。私はここ満願寺は新西国霊場巡礼をするまで名前も知らなかった寺です、寺にはまず珍しい形の仁王門から入ります。仁王門の先には本堂まで続く長い石畳の参道があり,本堂前の階段下は広い広場になっています、広場右側には観音堂があります。
さて仏像ですが、まず仁王門には鎌倉時代の木像の金剛力士像が、観音堂には平安時代の木像千手観世音菩薩像が、さらに本堂には平安時代の木像聖観音菩薩と十一面観音菩薩像が安置されています。
境内には室町時代の三廟があります、すなわち源満仲の子 美女丸、美女丸の身代わり幸寿丸、幸寿丸の父藤原仲光の墓とされている。さらに墓としては坂田金時の墓がありますが真偽のほどは
珍しい形の仁王門
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仁王門から続く長い石畳の参道
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本堂前の広場
正面に本堂、右手に観音堂
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観音堂 
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本堂
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開山堂と本堂
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三廟
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源氏ゆかりの七人の塔
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九重塔
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坂田金時の墓
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新西国霊場巡礼第12番 仏日山 東光院 萩の寺
新西国霊場巡礼第12番 仏日山 東光院 萩の寺
大阪府豊中市南桜場1-12-7
阪急宝塚線曽根駅から徒歩5分
本尊 こより十一面観世音菩薩 開基 行基菩薩

御詠歌
詣り来て 袖ぬらしけり 萩の寺 花野にあまる 露の恵に
 
供養の心を伝える萩の寺

 寺の歴史は行基菩薩が現在の大阪中津の里にお堂を建てて薬師如来を祀ったのが始まりとされている。このとき行基が初めて火葬の方法を民衆に教えたとされる聖地です。当時は淀川流域には萩が群生していたので仏様の供養に使ったされている、このため東光院は萩の寺と呼ばれ、長命人が多く参拝している。
特に有名なのが秀吉の側室淀君で萩を愛でるため、東光院をたびたび訪れている,萩の花に対する愛着は捕獲するものがないぐらいで、萩で筆を作り、写経するほどであったそうで、今では心願成就の筆として愛されている。
また正岡子規もここを訪れて歌を残している“ほろほろと 石にこばれぬ 萩の露”
さらにここを有名にしているのが、南朝の後醍醐天皇の死を悼み、女官たちが写経した紙で、こよりを編んでつくったとされる十一面観世音菩薩があります。
このように女性にもてはやされた寺は新西国に選ばれるいるように、巡礼して感じた。境内には北大路魯山命名の庭園"萩露園”があり、“大阪みどりの百選”に選ばれている。


山門
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本堂
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観音堂
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あごなし地蔵尊
わが国最古の地蔵尊
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道了堂
道了大権現、萩祭の祭神
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知恵の座禅石
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萩露園
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白萩
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赤萩
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参道
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