ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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長﨑ばってん

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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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日本名城探訪32 奈良県大和郡山 郡山城
日本名城探訪32 奈良県大和郡山市 郡山城
所在地 奈良県大和郡山市城内町
城 郭 輪郭式平山城
天 守 不明(伝 5層6階)
築 城 1162年 筒井順慶
アクセス 近鉄郡山駅下車徒歩15分

平和のシンボル 金魚が泳ぐ城下町
 ここ郡山城(地名は大和郡山ですが、城は郡山城です)ですが、最初は郡山衆が雁陣の城を築いたのが始まりでとの記録があるようですが、本格的には筒井順慶が筒井城から入封して、織田信長の援助で近世城郭になっている。その後豊臣秀吉の弟豊臣秀長が大和国、和泉国、紀伊国3ケ国100万石余の領地の城主として郡山城に入封している。その秀長が没し、その養子秀 が急死し、大和大納言家は断絶する。
その後江戸時代には江戸幕府の重臣に水野、松平、柳沢と城主になり、柳沢家が明治維新まで続く。明治維新で藩県になり建家は消滅する。今では“菜の花の中に城あり郡山”と歌に呼ばれた風情はないが桜の中の城といわれるぐらい桜で有名です。
さて城跡には現在梅林門、月見櫓、大手東隅櫓、多門櫓等が再建されて、秀長時代の城を忍ばせます。天守台は今は石垣のみですが当時を忍ばせるものがあります、特に奈良県は石が少なく転用石が多く使われているさまが良くわかります。さて郡山城の城主であった柳澤家は柳澤吉保が幕府の要職にあったことから、たくさんの遺構があります、柳沢文庫、柳沢神社、菩提寺である長慶寺が残されている。


梅林門=追手門
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追手東隅櫓
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多聞櫓と隅櫓
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法印曲輪跡にある現在は市民会館
昔は藩庁
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裏から見た天守台
今は石垣修理中で近づくことはできない、奥の建屋が柳沢神社
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上の写真の右手から
転用石が少しは分かる
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柳沢文庫
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その前庭
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柳沢神社
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柳澤家の菩提寺 長慶寺
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今日の一枚
金魚鉢の公衆電話
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日本名城探訪31 長野県小諸市 小諸城
日本名城探訪31 長野県小諸市 小諸城
所在地 長野県小諸市丁311
城 郭 平山城(穴城)
天 守 不明
築 城 1554年(天文23年)武田信玄
アクセス JR中央線小諸駅下車すぐ

断崖絶壁で防御された穴城


 ここ小諸城は戦国時代の武田信玄の時、山本勘助らにより現在の縄張りが考えられ、豊臣秀吉天下統一の時小諸城主になった仙石秀久により完成された城のようです。なお小諸城の歴史は古いようで木曽義仲の武将小室光太兼の館跡ともいわれている。
ここ小諸城は戦国時代は争奪の場となったが、仙石秀久が初代藩主になって、城下町を初め城の形式を整えた。その後秀久が上田藩の移封されるまでの32年間に小諸の町の原型が築かれた。その後徳川・松平を挟み、与坂藩から移封された牧野氏のよって明治維新までの170年間を守られた。明治維新の廃藩置県で役割を終え、城は懐古神社を祀り、山門より城内を懐古園と呼ばれている。
なお城は千曲川に向かって傾斜した土地を利用して城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に低くなっている、今は石垣のみですが。ところで島崎藤村の詩“千曲川旅情”は余りにも有名で“小諸なる千曲川のほとり”そのものです。

大手門
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三の門
ここからが昔の城内
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二の丸跡
城内では一番高いところ
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その二の丸から見た風景
寂しさを感じる風景
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本丸への橋 黒門橋
バックに浅間山の白煙が
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番所跡
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本丸跡の建つ懐古神社
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本丸の石垣
桜の蕾が見事
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今日の一枚
言わずと知れた本丸から野千曲川、少し情緒がない
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日本名城探訪30 兵庫県赤穂市 赤穂城
日本名城探訪30 兵庫県赤穂市 赤穂城
所在地 兵庫県赤穂市上仮屋1番地
城 郭 変形輪郭式平城
天 守 建設されず
築 城 1466年から1483年 岡光広
アクセス JR赤穂線播州赤穂駅下車徒歩20分

軍学の粋を具現した独特の城

  ここ赤穂城は赤穂浪士で有名な城で、1466年から1483年頃、岡光広が加里屋城を築城したのが始まりで、その後常陸笠間から入封した浅野長直が1648年から改修をして、近代城郭に整備された。
城は千種川の三角州の上に築く枯れた、海を背にした海城であった、あまりの壮大であったので、幕府を恐れてか、それとも財政難でか、
天守は築かれないまま終わって入る。特に刃傷事件で浅野氏が改易となり、最後森蘭丸の弟森長直の入封で廃藩置県となる。
明治の廃城令で建家は順次廃却されたが、現在は多くの建屋が再建されている、その代表的な建家が大石内蔵助の館と大石神社、そこに至る大手門と太鼓橋、それの付随する大手隅櫓は見事です。
そこから少し離れた本丸の外堀や本丸門、本丸には本丸庭園が再建されています。


大手門と太鼓橋
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太鼓橋から見た大手隅櫓
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大石内蔵助邸の長屋門
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大石神社参道
両脇に四十七士の石像が
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新装なった本丸門
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本丸入口の堀と石垣
手前が創建当時、奥が新装なった石垣
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本丸庭園
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建つことのなかった天守台
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天守台裏の本丸裏門
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今日の一枚
刃傷沙汰の知らせの早駕籠が息を継いだ井戸
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日本名城探訪29 岡山県津山市 津山城
日本名城探訪29 岡山県津山市 津山城
所在地 岡山県津山市山下135
城 郭 梯郭式平山城
天 守 独立式層塔型4重5階(非現存)
築 城 1441年から1444年 山名忠政
アクセス JR津山駅下車徒歩15分

重畳と連なる高石垣の城

 美作の国の守護大名であった山名教清が一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが始まりですが、応仁の乱で山名氏が衰退し廃城となる。
その後関ヶ原の戦い後、森蘭丸の弟森忠政が入封し、1616年から13年の歳月をかけて完成させた城です。天守や櫓など合わせて80棟近い建屋が立ち並んでいたようです。ちなみに広島城は76棟、姫路城61棟であったそうですが、明治6年(18873年)の廃城令で天守や櫓など建屋ははすべては廃却されている。ところで大手門のあった三の丸から天守台まで150mの間に5つの門が有ったとされ、今は石垣のみが遺構として残っている。
2005年に城の最大規模だった櫓“備中櫓”が再建されている、この櫓の内部は畳敷きで、御殿様式を持つ櫓であったようです。

桜と備中櫓
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ツツジと備中櫓
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本丸の風景
右奥が天守台、正面が備中櫓
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天守台
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登城の石垣
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おなじく
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本丸からの津山城下
川が自然の要塞に
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二の丸でのイベント
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その二の丸を上から
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今日の一枚
見事な配置、菜の花、桜、石垣
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日本名城探訪28 石川県金沢市 金沢城
日本名城探訪28 石川県金沢市 金沢城
所在地 石川県金沢市丸の内
城 郭 梯郭式平山城
天 守 -
築 城 1,580年佐久間成政、1583年前田利家
アクセス JR北陸本線金沢駅下車バス兼六園前下車徒歩15分

 なまこ壁と優美な100万石の城

 ここ金沢城は加賀一向一揆の拠点で、浄土真宗の寺院であった尾山御坊があったところです。織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間成政を置いたが、のちに成政が賤ヶ岳の戦いで、羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。
前田利家は1592年(文禄元年)から改修工事を初め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べた。また利家の死後利長も拡張を加えて、大城郭が完成している。しかし天守は金箔瓦の天守であったが落雷で焼失している。
城内ですが、金沢城のトレードマーク石川門や三十間長屋、さらに最近復元された五十間長屋や櫓はさすが百万石の城といった感じです。特に金沢城の門や櫓には凍雪を防ぐため、鉛瓦やなまこ壁が使われている。なお写真ですが、二の丸と三の丸しかありません、最初の頃は天守ない城は本丸に近づいていません。

兼六園入口から見た石川門の全景
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なまこ壁が見事な大手門
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三の丸の風景
本来なら五十間長屋と菱櫓を入れて撮るべきであった

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二の丸から見た菱櫓
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橋爪門と続き櫓
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橋爪門を正面から
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二の丸から見た五十間長屋と菱櫓
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なまこ壁の見事な櫓
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控柱のある塀
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今日の一枚
大手門の見事さを
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