ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
プロフィール

長﨑ばってん

Author:長﨑ばってん
FC2ブログへようこそ
 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
5年続けた他のブログは閉鎖になり、ここFC2に移転することになりました、宜しく願います。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



新西国霊場巡礼第2番 佳木山 大融寺
新西国霊場巡礼第2番 佳木山 大融寺
大阪府大阪市北区大融寺町3-7
JR大阪駅から東へ徒歩10分
本尊 千手千眼観世音菩薩 開基 弘法大師

御詠歌
逢ひがたき 法の佳木を 得たる身は 苦しき海に などか沈まむ
一千年余の歴史を伝える

 ここ大融寺は弘仁12年(821年)に嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が創建したとされる古刹です。本尊は嵯峨天皇の念持仏だった千手千眼観世音菩薩である。天皇の皇子源融が七堂伽藍を建立し、寺名にも反映されている。
昔は大寺であったが、大坂夏の陣で全焼、さらに元禄年間に復興するも、昭和20年の大阪大空襲で再度一宇残らず全焼した。しかし現在は広いといえない境内ですが、本堂を初め太子堂、護摩堂、弁天堂、不動堂、鐘楼等の堂宇が再建されている。ここ大融寺が新西国霊場に推挙された昭和の初めには元禄時代の建屋があり、大阪駅の近くで繁華街に近く、国道沿いの大寺であったから人気はあったと思います。
今でも場所は狭いですが大阪キタの繁華街曽根崎に近く、寺の昔の正門(今は南門)の前はラブホテル街です。

現在の正門である西門
14-04-26-1.jpg 

西門から見た本堂
こちらは側面
14-04-26-2.jpg 

従来の正門 南門
14-04-26-3.jpg 

南門から見た本堂
こちらは正面
14-04-26-4.jpg 

本堂から見た南門
バックの建物はラブホテル、これがあるからこちらを今は正門にしていない?14-04-26-5.jpg

境内の隅にある宝塔
一層が不動堂、一切不動明王を安置
14-04-26-6.jpg 

その不動明王
14-04-26-7.jpg 

太子堂
14-04-26-8.jpg 

鐘楼と淀の墓
大阪城にあった淀の墓がここに移されたとのこと
14-04-26-11.jpg 

宝塔の奥にある不思議な場所
14-04-26-10.jpg

FC2 Management

新西国霊場巡礼 客番 有栖山 清水寺
新西国霊場巡礼客番 有栖山 清水寺
大阪府大阪市天王寺区伶人町5-8
大阪市営地下鉄谷町線四天王寺夕陽ケ丘駅下車5分
本尊十一面千手観世音菩薩 開基 延海大阿闍梨
御詠歌
たふとしや 入江の岸の 観世音 滝も玉出の 名にかがやきて
衆生済度を願う地蔵さまの麗姿
 ここ有栖山清水寺は新西国霊場の札所ではなく、客番です。西国33所の如く番外寺でない為、札所と札所の間にあります。有栖山清水寺は詳名は有栖山清光院清水寺で私宗総本山四天王寺の支院です。昔は有栖寺といっていたそうですが京都清水寺延海大阿闍梨が聖徳太子の作とされる十一面千手観音を祀って、本堂を建てたのが開基とされている、その時の寺号が新清水寺であったそうです。しかし今では境内には本堂もなく、全面墓地になっている、本堂は境内下に仮本堂があるのみです。
しかし墓地の端には昔清水寺に似せて造った舞台が残されています、ここから市内が一望できます。丁度正面が通天閣です。なぜこんな清水寺が客番ながら新西国に名をつられることになったかは、1つは四天王寺の支院であること、もう一つは天王寺七坂 と呼ばれる清水坂の上にある観光名所であることではないか。
さて舞台下にある納経所の2階が本堂ですが、その奥に“玉出の瀧”と呼ばれる大阪市内の唯一の瀧があり、一般の人も滝に打たれることが出来ます。またここの見所は舞台から見る夕日で,地元の人に言わせるとそれはそれは大きな夕日であったそうです。そこからこのあたりは“夕陽ケ丘”と呼ばれています。

風変わりな山門
昔は閉ざされていた
14-04-19-3.jpg 

山門から見た境内
墓以外には何もない、昔は右手奥に納骨堂とその下に地蔵堂があった が、いまはない
14-04-19-4.jpg 

清水寺張りの舞台と鐘つき堂
奥に見えるのが通天閣、鐘つき堂の下に仮本堂が
14-04-19-5.jpg 

右手が納経所、2階が仮本堂
14-04-19-6.jpg 

玉出の瀧への入口
14-04-19-7.jpg 
玉出の瀧
京都清水寺の音羽の瀧を思わせる
14-04-19-8.jpg 
この風景も京都清水寺と同じ
14-04-19-9.jpg 

舞台からの夕日
14-04-19-1.jpg 

清水坂の降り口にある石標
14-04-19-2.jpg 

子育地蔵尊越しにから見る風景
昔が通天閣、今はアベノハルカス
14-04-19-10.jpg


新西国霊場巡礼第1番 荒陸山 四天王寺
新西国霊場巡礼第1番 荒陵山 四天王寺
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-8
JR大阪環状線天王寺駅から徒歩15分
本尊 救世観世音菩薩 開基 聖徳太子
 
御詠歌
 
ありがたや 法のはじめの 天王寺 亀井に浮かぶ み仏の影

日本仏法最初の寺

 新西国霊場巡礼の1番札所は大阪市天王寺区にある、荒陵山 四天王寺です。本ブログの巡礼シリーズは、本ブログ“新西国霊場巡礼”で第4回目です。そのうち3度登場の四天王寺がなぜ西国33所巡礼に入らなかったか不思議です。 さて四天王寺には宗派らしい宗派がなく、聖徳太子の教え“和をもって尊しとなす”から和宗といわれています。要するに“どなたでもいらしゃい”式の寺ですから人気のあるのは当然と思います。そんな庶民に愛されたところから何度となく焼失するもこれだけの大寺が再建されています。そんなわけでたくさんの行事がありますが、春秋の彼岸会には亀井の井戸に浮かべるお札書きの店が天王寺駅から境内までの参道商店街に店が出ます。

重要文化財の鳥居
額の文字“釈迦如来転法輪の所 極楽土の東門の中心”とある
14-04-12-1.jpg 

彼岸会で賑わう西大門
14-04-12-2.jpg 

西大門のマリ車
触るため行列が
14-04-12-3.jpg 

経木流し供養の行われる亀井堂
14-04-12-4.jpg 

経木書きの人で賑わう参道
14-04-12-5.jpg 

種々の行事が行われる六時堂
14-04-12-6.jpg 

その1どやどや
14-04-12-7.jpg 

その2聖霊会舞楽大法要
14-04-12-8.jpg 

今やこんな風景も
バックの高いビルはアベノハルカス
14-04-12-9.jpg


新西国霊場巡礼 イントロ
新西国霊場巡礼 イントロ
 本日よりは“新西国霊場巡礼”の旅をアップします、新西国霊場は西国33所に比べて歴史も浅く生い立ちも違います。新西国霊場は昭和7年(1932年)当時の大阪時事新報、神戸新聞、京都日日新聞、の三都新聞連合会の企画により、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場が始まりで1967年に客番5霊場を加えて38霊場になっている。
選定基準に近畿2府4県の寺院で聖徳太子の“和の道”を基本に制定されているため“聖徳太子ゆかりの寺33勝”の中から6寺院が含まれている。また私は当ブログで“五木寛之百寺巡礼”“西国33所巡礼”“聖徳太子ゆかりの寺33所巡礼”をアップして来たので新西国霊場とは10ヵ寺が重複しているが、今回の写真は何故人気投票で選ばれたかを重点にアップしていきます。なお時代のずれ(選定は戦前です)がありますので、適切に判断できたかどうかはわかりません。まずは各県代表(大阪12、兵庫15、和歌山2、奈良3、滋賀、京都4、と偏りがあります)の写真を、



大阪代表河内長野 天野山 金剛寺
女人高野として有名でお籠り堂がある、写真はお籠り堂
14-04-05-5.jpg 



和歌山多代表日高川町 天音山 道成寺
歌舞伎“安珍、清姫”で有名,今は無き鐘楼跡
14-04-05-2.jpg 


京都代表京都市 瑞応山 千本釈迦堂
おかめ信仰の発祥地、おかめの像
14-04-05-4.jpg 

滋賀代表大津市 比叡山延暦寺横川 根本中堂
何故滋賀は2寺のみか、延暦寺は西国でも
14-04-05-1.jpg 



奈良代表奈良市 鳥形山 飛鳥寺
ここは言わずとしてた飛鳥大仏に人気
14-04-05-3.jpg 




兵庫代表 神戸市兵庫区 宝積山 能福寺
平清盛の寺で有名、兵庫大仏が目立つ
14-04-05-6.jpg


聖徳太子ゆかりの寺を歩く最終回 番外3 観音正寺
聖徳太子ゆかりの寺を歩く最終回 番外3 観音正寺
滋賀県蒲生郡安土町石寺2
JR東海道線能登川駅から八日市バス13分観音正寺口下車徒歩50分
 
緊急終了
 本ブログは毎週土曜日投稿して来ましたが、2週間お休みの事態に、その理由は急性心筋梗塞で入院手術をしたためです。本日からは再度アップします、訪問のほどよろしくお願いします、なお聖徳太子ゆかりの寺は本日で終了とします。次回からは年度も新たまわりますので、新しく“新西国霊場巡り”をアップしていきます。
 さて番外としてたくさんある中から、ここ観音正寺を取り上げた理由は、先日滋賀県東近江市にある五箇荘金堂を訪れた時に、前方にある山を見上げた時に、これが息絶え絶え登った繖山で、観音正寺のある山と気づきました、ここには西国33所巡礼で訪れています。ここ観音正寺は推古天皇13年に、人魚の苦しみを救ってほしいとの願いから聖徳太子が繖山の頂上に建立した寺とされています。一時は地元の豪族佐々木氏が山の頂上に城築いたため麓に移設されたが、城が攻め落とされたため再度頂上の移動した。

五個荘から見た繖山
14-03-29-1.jpg 

頂上にあった観音正寺城の地図
五個荘八年庵で撮影
14-03-29-2.jpg 

本堂を望む境内
本堂は最近焼失、再建された
14-03-29-4.jpg 

護摩堂
14-03-29-6.jpg 

新装なった本堂
本尊は新品
14-03-29-8.jpg 

縁結び地蔵
14-03-29-7.jpg

樽でつくられた祠
14-03-29-9.jpg 

濡れ仏
14-03-29-5.jpg 

上から見た近江平野
14-03-29-3.jpg