ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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新西国霊場巡礼第21番 甲山 神呪寺
新西国霊場巡礼第21番 甲山 神呪寺
兵庫県西宮市甲山町25-1
阪急西宮駅からバスで甲山大師下車すぐ
本尊 如意輪観世音菩薩  開基如意尼公

御詠歌
来てみれば すがたも花の かぶと山 寺もわが身も 薄雲の中

天然記念物の山の中腹

 本来なら本日は札所20番立木山寺ですが、ここは境内まで700段以上の石段があるので今の段階ではパスした。そこで本日は第21番神呪寺をアップします。
さて神呪寺ですが名前のような神を呪う寺でなく、甲の形をした優雅な山で、兵庫県西宮市にある天然記念物の甲山の中腹にある立派なお寺さんです。ここ甲山は甲山ハイキングコースの中にありますので、本来なら阪急電鉄甲陽線の終点甲陽駅から歩くことをおすすめします、途中は結構な急坂ですが所要時間は30分位で手前には甲山森林植物園があり、桜の季節は桜が見事です。ただし私はお寺の巡礼はなるべく順番にしていますので、ベストの時期の参拝できることが少ない。
寺は仁王門と本堂への入口の間が県道で分断されているため、バスで行くと仁王門は忘れられた存在になりますが、古色蒼然とした美しさのある門です。境内への入口から本堂を見ると石段の上に本堂、その本堂をバックに甲山の勇姿があります。 この甲山は昔神宮天皇の皇后である神功皇后が平和を祈願して金の兜を埋めたとの伝説があるそうです。
寺は開基の如意尼公(淳和天皇の妃)が弘法大師に帰依して仏門に入り本堂を建てて神呪寺を創建したとされている。そのためここ神呪寺は甲山大師と呼ばれ庶民に人気の寺となった。 境内は甲山の中腹に広がる平地にあり本堂を初めとするたくさんお伽藍が並んでいます、境内の展望台からの眺めは見事で、眼下に西宮市、遠くは大阪湾が広がります。

甲山の勇姿
甲山森林公園から
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忘れられる仁王門
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県道から見た本堂への階段
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本尊は木像如意輪観世音菩薩
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太子堂
本尊は木像弘法大師坐像
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不動堂
本尊は木造不動明王坐像
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納骨堂
本尊 木像聖観音立像
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鐘楼
階段から見る鐘楼は見事
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多宝塔
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展望台から見た眺め
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境内から見た階段
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新西国霊場巡礼第19番 鞍馬山 鞍馬寺
 新西国霊場巡礼第19番 鞍馬山 鞍馬寺
京都府京都市左京区鞍馬本町1074番地
叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅下車徒歩30分
本尊千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊 開基鑑禎上人

御詠歌
くらまやま むらだつ杉の 木の間より もるるや法の あかき燈火
 
宇宙生命を信奉する

 
 ここ鞍馬寺は源義経(幼名牛若丸)が兵法を修業した場所として有名で、新西国の人気投票で入ったのは当然の成り行きでは。
寺は鑑真上人の高弟鑑禎が770年年草庵を造り、毘沙門天王を安置したのが始まりとされている、しかし神峯山寺で書いた如く、この毘沙門天王は役小角が刻んだのではないか。
本格的な伽藍の造営は796年(何故年数を書いたかですが古いことをわかってもらうため)藤原伊勢人という人が千手観音を祀って 造営したようです。
私が鞍馬寺で興味を引いたのは昭和27年に鞍馬仏教として新宗教教団の宗教法人化が認められ、総本山となったことです、これが新西国の人気投票以前であったなら加入できたかどうかです。さて鞍馬仏教とはいかなるものか難しくでよくはわかりませんが
宇宙の大霊、大光明、大活動体を三位一体とする尊王を教義とする。尊王とは鞍馬寺の本尊のことを言う。
三位一体の本尊がすべての生命を生かし存在させるエネルギーとして、毘沙門天王は光の象徴、千手観音は愛の象徴、護法魔王は力の象徴を表すそうです。わかりますか
さて鞍馬寺は叡山電鉄の終点鞍馬駅から上り始めて、同じ鞍馬電鉄の貴船駅に降りる登山道でもあります。

叡山電鉄鞍馬駅前にある鞍馬天狗の面
ここ鞍馬寺は鞍馬天狗と牛若丸の伝説の地です 
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仁王門前参道から仁王門を
鞍馬石に書かれた寺名は見事 
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仁王門の扁額
この字は勘亭流籠文字か
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仁王門を少し登ったところにある由岐神社の拝殿
見事な双翼の造り、鞍馬の火祭の舞台
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本堂前の灯籠が並ぶ石段
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本殿
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翔雲石
本尊が降臨したところ
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僧正ヶ谷不動尊
鞍馬天狗と牛若丸が兵法を修業したところの近く
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奥の院魔王殿
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山越えに道“木の根道”
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貴船側にある西門
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新西国霊場巡礼第18番 比叡山 延暦寺 横川中堂
新西国霊場巡礼第18番 比叡山 延暦寺 横川中堂
滋賀県大津市坂本本町4200
坂本ケーブル山頂駅から徒歩1時間
本尊 聖観世音菩薩 開基 慈覚大師

御詠歌
千代かけて 世をは救ひの 鐘の音を 送り絶えせぬ 比叡の山嵐

円仁開祖の横川中堂

 比叡山延暦寺については何も書く必要はないのですが、比叡山延暦寺は三塔と呼ばれ東塔、西塔、横川の3つの地区にそれぞれ伽藍が存在します。が中心はあくまでも東塔にある根本中堂のはずです。
なぜ新西国霊場の札所が横川中堂なのかは不思議です、しかし西国も新西国も観音霊場巡りとなっているので、ここ横川中堂は最澄上人の教えに従って慈覚大師円仁が開いた場所で観音堂として創建したのが横川中堂といわれている。そんな関係でここが札所になったようです。因みに根本中堂の本尊は薬師如来とか
ここと同じケースは西国の三井寺でも遠く離れた観音堂が札所になっている。もし仮に根本中堂を札所にしたなら人手の捌きはできないのでは、同じことが京都清水寺で起こっている、札所が本堂の横にあるが,札所の朱印の書き手は愛想のない、乱雑な字で人手を捌いている。
 

舞台造りの横川中堂
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正面から見た横川中堂
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三重塔 根本妙法堂
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元三大師堂の山門
おみくじ発祥の寺
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四季講堂と呼ばれる本堂
村上天皇の命で春夏秋冬に法華経の論法法要が
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恵心院
恵心僧都の旧跡、谷を少し下ると日蓮の旧跡も
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元三大師の御廟
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独立してある鐘楼
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横川にある周回コース
コース沿いには西国33所の観音像が建っている
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新西国霊場巡礼第17番 立願山 楊谷寺
新西国霊場巡礼第17番 立願山 楊谷寺
京都府長岡京市浄土谷堂の谷七
阪急長岡天神駅からバス20分
本尊 十一面千手眼観世音菩薩 開基 延鎮僧都
 
御詠歌
やなぎ谷 法の真清水 むすぶ身の 日の曇さへ 晴るる嬉しさ


“眼病の観音さま”で有名

 ここ楊谷寺は京都府長岡京市の山奥にあり、バスも途中までしかなく大変不便なところです、しかし弘法大師の命日(毎月17日)には阪急大山崎駅から参拝の直行バスが出ます、また紫陽花祭の時は阪急長岡天神駅から直行の臨時バスが出ます。
さて寺は京都清水寺を創建した僧延鎮が夢のお告げで当地を訪れて観音様に出会ったことから、仏像を刻んで安置したのが始まりとされているそうです。その後弘法大師が乙訓寺を訪れた時、当寺を参拝し尊像に拝して供養された。その時裏山で汲んでも汲んでも尽きぬ霊水を発見した。その水が眼病に効いたことから病気平癒の御供水となり、今でも独鈷水として残されている。
そんなわけで新西国の投票で残ったようです、しかしここの見所は奥の院に続く参道に咲く紫陽花の見事さで、紫陽花の咲く頃は紫陽花祭が開催されます。写真はその時訪れた写真しかなく伽藍の写真も少なく、独鈷水の写真もありません。

参道から見た全景
もう少し下がって撮ると手前に土産物屋が
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七夕の飾りが残る本堂
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独居水の代わりに弘法大師
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奥の院への中陽門
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多宝塔と呼ばれる十三重の塔
多宝塔とは後でとって付け加えたような
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奥の院
ここから入ると下の本堂に廊下伝いに下ることが
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奥の院の参道から見た境内
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奥の院から下る回廊から見た方丈庭園
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奥の院の参道脇に咲く紫陽花
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奥の院の下り回廊脇に咲く紫陽花
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新西国霊場巡礼第16番 瑞応山千本釈迦堂 大報恩寺
新西国霊場巡礼第16番 瑞応山千本釈迦堂 大報恩寺
京都府京都市上京区今出川通七本松上ル
京都駅から市バスで上七軒下車徒歩5分
本尊 釈迦如来、六観音 開基 来法上人義空

御詠歌
ひとすじに 仏の教 たどりなば 千本の道も 迷はざらん
 
"徒然草”にも登場


 ここ大報恩寺は第31代用明天皇の勅願によって開祖されたとされているが、その後さびれ鎌倉時代に藤原秀衡(奥州の藤原三代のひとり)の孫が比叡山で修業したのちに創建したとされる。このことが徒然草に出てくる。
大報恩寺は通称千本釈迦堂といわれ、京都ではこちらの方が名前が通っている、その名の由来は言わずとしてた本尊が釈迦如来であることです。
境内には伽藍と呼ばれるものは本堂ぐらいですが、この本堂は京都では珍しく兵火にあったことがなく京都では最古の建造物で国宝です。この本堂がのちに有名になるのですが,それは“おかめ信仰”のもとになる伝説があるからです。その伝説とは本堂建設に難儀していた棟梁が妻の入れ知恵で責任を果たすが、妻は完成の日に自殺、後の世に妻の入れ知恵で完成したといわれないために、事情を知っている自分はいない方が良いと自殺したという伝説のもとになる“おかめ塚”が境内にあり、宝塔印塔と像が建っている。
しかしここ大報恩寺の見所は霊宝館にある仏像で、定慶、快慶の作とされる六観音像や
十六弟子像は見るに値する仏像です。

境内入口
国宝千本釈迦堂の石柱は見事
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山門まで続く石畳の参道
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簡素な山門
本堂に比較して
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正面から見た本堂
ここからは古さがわからない 
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西南から見た本堂
五色幕のひらめく見事な本堂、ここは真言宗、真言宗ではこの色は五智如来と呼ばれる
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おかめ塚
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北野経王堂
足利義満が立てた北野願成就寺の遺構を使って建てた建物 
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こんな仏像の塔が
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見事な仏像が並ぶ霊宝館
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近くにある上七軒
上七軒とは京都5花街の1つ
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