ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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新西国霊場巡礼第17番 立願山 楊谷寺
新西国霊場巡礼第17番 立願山 楊谷寺
京都府長岡京市浄土谷堂の谷七
阪急長岡天神駅からバス20分
本尊 十一面千手眼観世音菩薩 開基 延鎮僧都
 
御詠歌
やなぎ谷 法の真清水 むすぶ身の 日の曇さへ 晴るる嬉しさ


“眼病の観音さま”で有名

 ここ楊谷寺は京都府長岡京市の山奥にあり、バスも途中までしかなく大変不便なところです、しかし弘法大師の命日(毎月17日)には阪急大山崎駅から参拝の直行バスが出ます、また紫陽花祭の時は阪急長岡天神駅から直行の臨時バスが出ます。
さて寺は京都清水寺を創建した僧延鎮が夢のお告げで当地を訪れて観音様に出会ったことから、仏像を刻んで安置したのが始まりとされているそうです。その後弘法大師が乙訓寺を訪れた時、当寺を参拝し尊像に拝して供養された。その時裏山で汲んでも汲んでも尽きぬ霊水を発見した。その水が眼病に効いたことから病気平癒の御供水となり、今でも独鈷水として残されている。
そんなわけで新西国の投票で残ったようです、しかしここの見所は奥の院に続く参道に咲く紫陽花の見事さで、紫陽花の咲く頃は紫陽花祭が開催されます。写真はその時訪れた写真しかなく伽藍の写真も少なく、独鈷水の写真もありません。

参道から見た全景
もう少し下がって撮ると手前に土産物屋が
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七夕の飾りが残る本堂
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独居水の代わりに弘法大師
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奥の院への中陽門
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多宝塔と呼ばれる十三重の塔
多宝塔とは後でとって付け加えたような
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奥の院
ここから入ると下の本堂に廊下伝いに下ることが
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奥の院の参道から見た境内
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奥の院から下る回廊から見た方丈庭園
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奥の院の参道脇に咲く紫陽花
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奥の院の下り回廊脇に咲く紫陽花
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新西国霊場巡礼第16番 瑞応山千本釈迦堂 大報恩寺
新西国霊場巡礼第16番 瑞応山千本釈迦堂 大報恩寺
京都府京都市上京区今出川通七本松上ル
京都駅から市バスで上七軒下車徒歩5分
本尊 釈迦如来、六観音 開基 来法上人義空

御詠歌
ひとすじに 仏の教 たどりなば 千本の道も 迷はざらん
 
"徒然草”にも登場


 ここ大報恩寺は第31代用明天皇の勅願によって開祖されたとされているが、その後さびれ鎌倉時代に藤原秀衡(奥州の藤原三代のひとり)の孫が比叡山で修業したのちに創建したとされる。このことが徒然草に出てくる。
大報恩寺は通称千本釈迦堂といわれ、京都ではこちらの方が名前が通っている、その名の由来は言わずとしてた本尊が釈迦如来であることです。
境内には伽藍と呼ばれるものは本堂ぐらいですが、この本堂は京都では珍しく兵火にあったことがなく京都では最古の建造物で国宝です。この本堂がのちに有名になるのですが,それは“おかめ信仰”のもとになる伝説があるからです。その伝説とは本堂建設に難儀していた棟梁が妻の入れ知恵で責任を果たすが、妻は完成の日に自殺、後の世に妻の入れ知恵で完成したといわれないために、事情を知っている自分はいない方が良いと自殺したという伝説のもとになる“おかめ塚”が境内にあり、宝塔印塔と像が建っている。
しかしここ大報恩寺の見所は霊宝館にある仏像で、定慶、快慶の作とされる六観音像や
十六弟子像は見るに値する仏像です。

境内入口
国宝千本釈迦堂の石柱は見事
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山門まで続く石畳の参道
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簡素な山門
本堂に比較して
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正面から見た本堂
ここからは古さがわからない 
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西南から見た本堂
五色幕のひらめく見事な本堂、ここは真言宗、真言宗ではこの色は五智如来と呼ばれる
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おかめ塚
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北野経王堂
足利義満が立てた北野願成就寺の遺構を使って建てた建物 
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こんな仏像の塔が
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見事な仏像が並ぶ霊宝館
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近くにある上七軒
上七軒とは京都5花街の1つ
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新西国霊場巡礼第15番 新京極 誓願寺
新西国霊場巡礼第15番 新京極 誓願寺
京都府京都市中京区新京極桜の内町453
京阪電車三条駅から徒歩10分
本尊 阿弥陀如来像 十一面観世音菩薩像 開基 天智帝の御宇
 
御詠歌
人波に おされながらも 誓願寺 心にふかく 頼みきにけり

繁華街の現代的霊場

 ここ誓願寺は京都市の繁華街新京極のど真ん中にある近代的な建屋の小さな寺です、しかし創建は古く今から1300年余の昔、天智天皇の勅願によって、当時の仏彫師 賢間子、芥子国という父子の合作の霊像を祀った寺で大和の國に建てられた。
その後都が京に移転されたので、平安遷都ともに伏見深草に移設された寺で、その後度重なる災害の度に、移転を余儀なくされ現在の地に移ったのが1588年という、当時大きな寺地を有し、七堂伽藍が建ち、塔頭の多数あったようです。
寺は念仏女人往生の先駆けとして枕草子の作者清少納言がここで仏門に入ったそうです。また同じく平安時代の才媛和泉式部もここで髪を下している。そんなわけで女性には人気の寺です、女性に人気の寺は人気投票には強い。
寺自体はその後の3度の大火と明治の改革で寺地は没収され狭くなったそうですが、浄土宗深草派の総本山として法然上人、西山国師、円空上人の大遠忌を営んでいる。
 なおここ誓願寺は落語発祥の地としても有名で、境内には扇塚があり芸道上達の寺として、たくさんの扇が奉納されている。

若者が集まる妙の繁華街新京極
中央に見えるのが誓願寺に山門
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格式を感じる山門
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モダンな本堂
昭和39年建造の鉄筋コンクリート製
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本尊阿弥陀如来像
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扇塚
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芸上達を祈願して奉納された扇
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珍しい地蔵さん
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地蔵さんお上にある鐘楼
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阿弥陀如来の前で踊りが
芸祈願の寺らしい
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新西国霊場巡礼第14番 根本山 神峯山寺
新西国霊場巡礼第14番 根本山 神峯山寺
大阪府高槻市原3301
JR京都線高槻駅から市バス上の口行終点より徒歩30分
本尊 毘沙門天 開基 役小角

御詠歌
神峯の山 すずしき音の かよひ来て こころの底に 響く瀧つせ

日本最初の毘沙門天霊場

 ここ神峯山寺は先週アップした安岡寺の北にあり、同じバスルートです。さてここ神峯山寺は役小角が神のお告げの霊木で毘沙門天を刻み、祀ったのが始まりとされ、日本最初の毘沙門天霊場です。このとき同じ霊木で刻んだ、毘沙門天像は4体で、ここ神峯山寺のほかに京都鞍馬寺、河内信貴山と神峯山寺の元奥の院(今は本山寺)に祀られている。
先週の安岡寺開基開成皇子が父光仁天皇の命により、神峯山寺の住職になり、皇室の庇護で七堂伽藍をはじめ多くの僧坊が建てられた。当時は皇室の信仰も厚く、歴代天皇の祈願所にもなり、皇室の紋章である十六弁菊の紋章の使用を認められていた。今でもその紋章は朱印に使われている。
寺は江戸時代に創建時の神峯山寺は焼失しているが、すぐに再建されているが、昔の面影はないとのことです。寺は今は紅葉の隠れた名所として人気がありますが、なぜ人気投票で選ばれたかわかりません。寺はかなり登ったところにあり、バス停から急な坂道を登らねばなりません。紅葉の時期に再参拝したいが

上の口バス停から歩くとこの石標
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石標から参道を進むと鳥居が
ここからが本格的な参道ですが、鳥居とは
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さらに進むとこんな鳥居が
勧請掛と呼ばれる大阪商人が米価を占った
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何か重厚な山門
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山門から続く紅葉の参道
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本堂
毘沙門天と平安時代の作とされる聖観音像と阿弥陀如来像が
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観音堂
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十三重石塔
開成皇子の父光仁天皇の分骨が
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開山堂への石段
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開山堂
何故注連縄が
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新西国霊場巡礼客番 南山高槻観音 安岡寺
新西国霊場巡礼客番 南山高槻観音
大阪府高槻市浦堂本町41-1
JR京都線高槻駅から市バス上の口行バス浦堂下町下車徒歩10分
本尊如意輪観世音菩薩像 開基 開成皇子

御詠歌
如意の輪は 願ひのままに めぐりきて 身を安岡の 寺におかばや

開成皇子 自ら観音像を刻む

 ここ安岡寺は客番の寺です、今まで客番の寺は清水寺、観心寺とありましたが、2つとも前の寺の客番、すなわち清水寺は四天王寺、観心寺は金剛寺のという風に思っていたのですが、ここ安岡寺は次の寺神峯山寺との関係があるのではと思える。というのはここ安岡寺のまたの名が南山観音、つぎの神峯山寺が北山観音といわれている。しかしよく考えると場所が近いだけのような気もします、客番はあくまでも新西国霊場の客番であるはずです。
さて寺ですが桓武天皇の兄君の開成皇子が、この地が聖地であると思われて、自ら観音像を刻み、宝亀6年(相当古い)に建立した寺です。現在の本堂はキリシタン大名の高山右近によって荒らされたが、後に再建されている。
明治の廃仏毀釈によって伽藍はほとんどなくなったが開山堂と観音堂は残された。観音堂には十一面観世音菩薩像があり、平安時代の代表的な仏像として重文に指定されている。
最期にここに参拝するには大変でバス停から表参道を歩くと山門に続く、長い急階段が続いています、裏参道を歩くと距離は短いかいですが、急坂が待ち受けています。それでも人気があるようで人が三々五々訪れています。

寺名がかかれた石標
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古びた感じのしない山門
年代的には古い門、寺では山門と呼ばず総門と呼ぶそうです
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石畳の石段
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正面から見た本堂
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こちらからの方が格式がある本堂
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青梅観音堂と鐘楼
廃寺となった青梅寺の本堂
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叶観音堂
最近建立
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大護摩供が行われる広場
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その時の御祭神“弘紹不動明王”
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西山門
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