ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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長﨑ばってん

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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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日本の名城探訪11 備中松山城
日本名城探訪11 備中松山城
所在地 岡山県高梁市内山下
城 郭 連郭式 山城
天 守 望楼型(現存)
築 城 1240年秋山重信、1681年水谷勝宗
アクセス JR伯備線高梁駅からバス10分下車シャトルバス10分下車徒歩30分

山城唯一の現存する天守が残る堅城

 ここ備中松山城は岡山県高梁市のある臥牛山に築かれた山城です、臥牛山は4つの峰(大松山、天神の丸、前山、小松山)からなり、最初の城は秋山重信が大松山へ築城、その後水谷勝宗が小松山に天守を初め現在の姿に改築したようです。なお天神の丸、前山にも遺構(石垣)があるところから考え、一挙に小松山に移行したのではないようです。ところで備中松山城主は代々たくさんの人が務めていますが年表を見ると大石良雄や小堀遠州の名前もあります。
さて城の方ですが、小松山の山頂は背後が岡山三大河川(旭川、吉井川)の1つ高梁川で自然の要塞になっています。山頂にある本丸から前方に階段状に、二の丸、三の丸があり、山頂の標高は430mで日本一高いところにある天守です。本丸以外には建屋はないですが見事な石垣は残っています、特に大手門跡の石垣は見事です。本丸には天守の他に二重櫓、五の平櫓、六の平櫓や南門、東門が有ります。
なお天守は麓から高いところにあるため、御殿は麓にあり尾根小屋と呼ばれていたようです。今跡地は高校が
尚帰りに市内観光を進めます、武家屋敷や小堀遠州の棲んでいた寺(頼久寺)の庭園は見事です。 

岩盤の上に立つ天守
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天守のある本丸
手前の櫓(五の平櫓、六ノ平櫓)の間に入口
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裏から見た天守
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天守の中
手前に囲炉裏が、また神社もあった
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大手門跡の石垣
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二の櫓跡と三の櫓跡の間の土塀
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本丸から見た眼下
流れる川は高梁川
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武家屋敷跡
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小堀遠州作の庭がある頼久寺
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市内の絶景
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日本の名城探訪10 松本城(深志城)
日本名城探訪10 松本城(深志城)
所在地 長野県松本市城の内
城 郭  梯郭式+輪郭式 平城
天 守  層塔型
築 城  1593年、94年 石川数正、康長
アクセス JR中央本線松本駅から徒歩15分

乾小天守屋月見櫓を従えた国宝天守

 ここ松本城は甲斐武田、越後上杉の両雄の抗争の場でもあった、それぞれの部下が城主を務めている。徳川家康の関東移封で豊臣秀吉配下の石川数正が入城し、息子康長とともに大改築を行い、松本城を近代城郭にした。
天守、乾小天守、渡櫓は文禄、月見櫓、辰巳付櫓は寛永の建造とされている。北アルプスを借景にした姿は見事です。1727年本丸御殿、1876年の二の丸御殿が焼失し、天守も解体の危機を乗り越え1913年、1930年ともに国宝指定されている。天守群は総黒漆塗りの下見板でどの角度から見ても美しい。四季折々の風景が楽しめるようで、春は桜、夏は雲、秋は紅葉、冬は雪だそうです。
また天守の上からの眺めは無骨な西面、風雅な南面といわれています。なお私は登城した時にはなかった太鼓櫓等が復元されている。また本日の写真は王ケ頭ホテルで開催された写真教室の帰りに撮影したもので写真は少ない。

搦め手にある埋橋と天守
 
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北アルプスを借景に乾天守と天守
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角度を変え天守と乾天守
天守をメインに
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北アルプスの絶景
右端に見えるのが王ケ頭ホテルのある美ヶ原の頂上
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天守からの眺めその1
上から見た埋橋
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上から見た眺めその2
松本城公園の風景
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天守から見た北アルプス
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天守から見た雪の中の市街地
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日本名城探訪9 犬山城(白帝城)
日本名城探訪9 犬山城
所在地 愛知県犬山市犬山北古巻
城 郭 梯郭式 平山城
天 守 望楼型
築 城 1537年 織田信康
アクセス 名鉄犬山線犬山遊園地から徒歩15分

華東窓や廻廊で高い格式を誇る国宝天守


 ここ犬山城は織田信長の叔父織田信康によって、木之下城を移築して作った日本最初の城といわれていたが最近の調査では関ヶ原の戦い後新造といわれている。場所的には中山道と木曽街道に通じ、木曽川による交易、政治、経済の要所として戦いの時代の攻防の要となった。
有名なのが豊臣秀吉がここに入城し、小牧山城に陣を構えた徳川家康と対峙したことで、後に和解している。
犬山城の城主はめまぐるしく変わっている、関ケ原の戦前は秀吉の家臣石川光吉が、戦い後は小笠原秀次で、江戸時代は尾張徳川家の重臣成瀬正成が城主に、9代続き最近まで成瀬家の個人の城であった。
さて城の方ですが、後方に木曾川という自然の壕を擁し、本丸の前方に松の丸、柏の丸、杉の丸、樅の丸と城郭を構えた堅城でしたが明治4年の廃藩置県で愛知県の所有に成り、天守以外の建屋は全てとる壊された。
ところでこの城は中国の白帝山の風景に似ていることから白帝城ともいわれている、ところでどこが国宝かわからない。


国宝の天守
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城門
城門と呼ばれる門は沢山あったようですが取り壊しの際お寺さんに移築
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中から見るとこんなに立派
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下から見た天守
ここ階段式の曲輪で見事な石垣で区別
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なんじゃもんじゃの木越しに天守
本来の目的なんじゃもんじゃの花の撮影
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階段式の曲輪の間に登城道
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搦め手門が有ったところ
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天守から見た木曽川
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城下町の風景
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からくり舘
城下町を練り歩くからくり山車は有名
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日本名城探訪8 松江城(千鳥城)
日本名城探訪8 松江城(千鳥城)
所在地 島根県松江市殿
城 郭  離隔連合複合式 平山城
天 守  望楼型
築 城  1601年 堀尾吉春
アクセス JR山陰本線松江駅からバス10分

戦国の気風を伝える天守の城

 地元の熱意が実って国宝に7月8日に復帰、1935年に一度国宝に登録されるも、1951年に国宝法が改正されて取り消しの運命になった。松江城は信長、秀吉、家康の三代に仕えた堀尾吉春が関ヶ原の論功賞で築城した城です。
天守は築城当時の天守で、平面積は姫路城のついで2番目、高さでも3番目という規模を備えています。天守の外観の大部分が黒板張りで、漆黒天守と呼ばれている。境内には最近建てられた太鼓櫓や中櫓と南櫓があるぐらいのシンプルな城です。ただし最近はどこの城でも守護神として立派な神社を境内に建てています、ここ松江城も例外ではなく二の丸跡に立派な松江神社があります。
さて松江城の見所ですがその一番目は天守からの眺めです、眼下に宍道湖、遠くに伯耆大山が見ることが出来ます。2番目は城を囲むお掘りばたを遊覧船で観光することが出来、船から見る石垣は見事です、その石垣ですが天守を支える石垣も野面積と打込接が併用された見事な作りです。さらに堀沿いにさる武家屋敷群も見る価値があります、特に小泉八雲は住んでいた邸宅が中にあります。

見事な石垣の上に立つ天守
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太鼓櫓と太鼓門
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中櫓と南櫓
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二の丸跡にある松江神社
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天守から見た太鼓櫓
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天守から見たお堀端
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天守から見た宍道湖
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天守から見た伯耆大山
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遊覧船からの風景
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お堀端の武家屋敷
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日本名城探訪7 彦根城(金亀城)
日本名城探訪7 彦根城
   所在地   滋賀県彦根市金亀町
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                                   天守     望楼型
                                   築城     1604年 井伊直継、直孝
                                   アクセス  JR東海道本線彦根駅から徒歩10分

徳川譜代の重鎮井伊家の居城

 ここ彦根城は徳川家康が西国の抑えとともに、都の守護、また万一の際の江戸へ向かう豊臣軍勢の前線基地として、徳川四天王の1人井伊直政に築城を命じ、直政の死後、直継が他大名の助役をかり、20年の歳月をかけて完成した、戦国の気風が残る実戦向きの城である。
築城当時の城は三重の堀に囲まれていた、今でも二重の堀に一部は囲まれている。天守への道はループ式で、山頂部の曲輪間は堀切や特殊な石垣が築かれていた。とくに太鼓丸と鏡丸の間に堀切は見事で、そこにかかる太鼓橋は櫓とともに天秤櫓といわれている。
天守も築城当時の天守で、破風や華頭窓で飾られた美しさはさすが国宝です。天守からは宿敵石田三成の居城佐和山城を望め、遠くには伊吹山が、また西には琵琶湖の眺めも見られます。
とくに彦根城の特徴は城下に殿様の屋敷があり、その庭からの天守の眺めは素晴らしい、現在は玄宮園として一般に開放されている。

玄宮園からの眺め
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天守の勇姿
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破風や華頭窓の様子
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天秤櫓と太鼓橋の風景
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太鼓橋の下の堀切
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堀越しの彦根城の勇姿
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堀の入口のある佐和山多聞櫓
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城址公園にある井伊直弼の銅像
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天守からの伊吹山の眺め
右手が石田三成の居城がある佐和山
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天守から見た琵琶湖
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