ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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新西国霊場巡礼第27番 刀田山 鶴林寺
新西国霊場巡礼第27番 刀田山 鶴林寺
兵庫県加古川市加古川町北在家424
山陽電鉄尾上の松駅から徒歩20分
本尊 薬師如来、愛太子観世音菩薩 開基 聖徳太子

御詠歌
いにしへの 鶴の林に ちるはなの 匂をよする 高砂の風


聖徳太子創建

 ここ鶴林寺は当ブログには三度目の登場です、一度目が五木寛之の“百寺巡礼”、二度目が“聖徳太子ゆかりの寺”と今回です。兵庫県加古川市の市街地の外れにある古刹で、お寺としては珍しく平地にあります。
六世紀の半ば仏教論争で争っていた物部守屋の難を逃れるために隠遁した高句麗の高層恵便法師の徳を慕って、当地を訪れて、仏教の教えをうけたとされる聖徳太子創建お寺です。播州には鶴林寺と太子町にある斑鳩寺は太子信仰の中心で“刀田の太子さん”とか“播磨の法隆寺”と呼ばれている。
加古川駅からバスも出ているので、この日はバスに乗りました。バス停を降りると古色蒼然とした見事な仁王門が待ち構えている。今回の新西国霊場巡礼では兵庫県の寺が圧倒的に多く、またどの寺も田舎(田舎呼ばわりするのは失礼かもしれないが)にあるにしては立派な寺ばかりです。ここ鶴林寺には国宝の本堂、太子堂をはじめ16棟のお堂があります、特に本堂は中国風の建築を思わせる建屋で、三々五々人が手を合わせていました。またここ鶴林寺は関西花の寺25の1つで、本堂前には“桜と橘”ならぬ“沙羅双樹と菩提樹”でした。

由緒ありそうな石標
聖徳皇太子御霊蹟の文字が
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古さを感じるが国宝でない仁王門
室町時代の建立
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国宝の本堂
1397年建立、和様、大仏様、禅宗様 折衷様式の代表作
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本堂内部
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本堂を中心に太子堂と常行堂
本堂前には“桜と橘”ならぬ“沙羅双樹と菩提樹”、沙羅双樹は入滅寸前
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国宝の太子堂
1112年建立、なんとなく角度がいい
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同じように常行堂
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観音堂と護摩堂
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袴腰造りの鐘楼
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三重塔
室町時代の建立
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行者堂
1406年建立
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聖徳太子が通ったとされる門跡
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新西国霊場巡礼第26番 大谷山大谿寺 伽耶院
新西国霊場巡礼第26番 大谷山大谿寺 伽耶院
兵庫県三木市志染町大谷
神戸電鉄緑ヶ丘駅下車バスで15分
本尊毘沙門天像 開基 法道仙人

御詠歌
播磨路や 伽耶のみ寺の 花の庭 てらすは法の 光なりけり

山奥の古寺

 ここ伽耶院は神戸電鉄緑ヶ丘駅からバスで15分のところにありますが、山奥の寺でバスは1時間の一本しかありません。このような場合は行きはタクシーで、帰りはバスを使うのを常としている。しかし帰りのバスを気にするあまり参拝が雑になったり、写真を忘れたりします。
さて寺ですが、第22番の天上寺と同じく開基は法道仙人です、法道仙人が布教のため訪れた当地で、谷の奥の湧き出る泉の中で毘沙門天像を感得(思いがけなく手にいれる)し、孝徳天皇に奉上したところ、孝徳天皇の勅願で毘沙門天を本尊に寺を建立し開基となる。法道仙人はこの後28番の光明寺の開基にもなっている。
さて寺はその後花山上皇の行幸などで栄え、数十の堂宇や百三十余の坊舎があったようですが、豊臣秀吉の中国攻めのため一山灰じんに化し、その後再建されるも1609年に失火で焼失し、現在の建屋はそれ以後に再建されたものです。
寺はバス停からわき道を進むと、道を遮るよう仁王門があります、さらに進むと石垣の上に中門がありますが、これは庫裏への門で、さらに道なりに進むと二天堂が見えてきます、この奥に本堂があります。こちらが中門では。
境内には本堂をはじめとする古い建屋がたくさん存在します、昔は山伏の修験道場であった寺だったようです。ところで新西国に見合う見せ場がありません、なぜ人気投票で入ったのでしょう。

道を遮るようにある仁王門
道が仁王門を迂回、仁王門には行基菩薩作とされる像が、しかし兵火で半分焼けている
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石垣の上に立つ中門
門前には二基の石表が、大谷山伽耶院大谷光寺と新西国26番の文字が
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二天堂
本来はこちらが中門では、門前には石碑が“大谷山大谿寺伽耶院”の文字が
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古刹らしい本堂(1610年建立)
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三坂社(三坂明神社)
伽耶院の鎮守社
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臼神社
土台の石は臼、この臼昔は田圃の畔に
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多宝塔(1647年建立)
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黄金水
ヒカリモが生息し、冬場虹色に輝くことから付いた名前
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開山堂
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行者堂
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新西国霊場巡礼第25番 三身山 太山寺
新西国霊場巡礼第25番 三身山 太山寺
兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224
神戸市営地下鉄名谷駅からバス20分
本尊 薬師如来像、十一面観世音菩薩 開基 定恵和尚

御詠歌
祈りなば 三つ世やすし 三身山 浮世のほかの 月の照らして

文化財の宝庫


 ここ太山寺は藤原鎌足(飛鳥時代の人)の祈願によって、子の定恵和尚が開基となって、鎌足の孫宇合(藤原不比等の子)の建立という古刹です。飛鳥時代の人がなぜこんな神戸の山奥に寺を建てたか不思議です。
藤原宇合は定恵が果たせなかった七堂伽藍を建立したが、創建当時の建物は1285年に火災で焼失している、今の建屋は鎌倉時代から室町時代に再建されたものだそうです。全盛期は南北朝時代で外院41ケ坊、末寺八ケ寺で僧兵も抱えていたようです。
しかし今では仁王門から中門までの参道沿いに5ケ所の院があるのみです、しかし境内にはたくさんの伽藍が存在し、寺の周囲は
“太山寺風致地区”として自然美観が保護され、境内の内外には原生林が残る深森です。それは“ひょうごの森百選”にも選ばれ、春は桜、秋は紅葉の名所となっている。
特に伽藍では本堂は鎌倉時代創建の和唐折衷様式の堂堂とした建物です、その他には仁王門が室町時代のもので、もともとは重層の楼門であったようです。

古色蒼然とした仁王門
鎌倉時代のものだそうです、しかし正面からはそうは見えない
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仁王門の正面にある石標
何か由緒ある石標かと思いきや、書いてあることは新西国25番
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朱塗りの中門
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中門から見た本堂 
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国宝の本堂
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阿弥陀堂(1688年創建)
丈六の阿弥陀如来像が安置
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護摩堂
江戸時代中期の建立
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三重塔(1688年建立)
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閼伽井橋
奥の院への橋
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葉の見事さを思わす風景
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参道にある院の風景
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新西国霊場巡礼第24番 上野山 須磨寺
新西国霊場巡礼第24番 上野山 須磨寺
兵庫県神戸市須磨区須磨寺町四丁目6-8
JR山陽本線須磨駅から徒歩12分
本尊 聖観世音菩薩 開基 聞鏡上人

御詠歌
世にひびく 青葉の笛の 名にぞきく すまのみ寺の 松風
の声

源平の昔を偲ぶ

 ここ須磨寺は源平ゆかりの古刹です。須磨のこのあたり一帯は、須磨の上野と呼ばれ、山号も上野山で寺名は正式には福祥寺で須磨寺は通称だそうです。
寺は886年に開基である聞鏡上人が漁師が和田岬沖の海底から引き揚げた聖観音菩薩像を祀っていた北峰寺から当地に移して祀ったのが始まりとされている。創建当時は七堂伽藍もそろっていた、また途中では源頼政や豊臣秀吉の支援もあったが明治の初めには本堂、大師堂、仁王門を残すのみとなるほど荒廃した。
寺は明治の中頃以降に再建され、唐門、護摩堂、奥の院、書院、納骨堂、庫裏等が再建されている。しかしここ須磨寺の見所は源平の庭に象徴されるように、源平の遺品があることです。とくに熊谷直実と戦った無官の大夫平敦盛の遺品です。寺の一隅に童謡“青葉の笛”の音楽譜(楽譜入り)があります。
お奨めは裏山に七福神巡りの祠があり、奥の院を訪れるついでに回ることです、そこからの須磨浦の眺めも抜群です。

龍華橋越しの仁王門
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快慶、運慶作といわれる仁王像がある仁王門
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五鈷水と弘法岩のある手水舎14-10-11-3.jpg


源平の庭
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本堂
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大師堂
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敦盛の首塚
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きんぽんとん童子人形塚
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義経の腰掛松
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新西国霊場巡礼第23番 宝積山 能福寺
新西国霊場巡礼第23番 宝積山 能福寺
兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
JR神戸線兵庫駅から徒歩10分
本尊 十一面観世音菩薩 開基 伝教大師最澄

御詠歌
ただ法の 宝を積みて はるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり

戦争で消えた兵庫大仏


 ここ能福寺は伝教大師最澄が桓武天皇の勅命で唐に渡り、帰途この地(和田岬)にて大歓迎を受け、庶民が建てた堂宇に自作の薬師如来像を安置し、国の安定と庶民の幸福を祈願し、能福護国密寺と称した天台宗の寺だったそうです。
その後平清盛が福原に遷都した時、平家一門で帰依により七堂伽藍が整い隆盛を極めたとされる。また平清盛はここで剃髪入道し、死去後遺言でここに埋葬された。
しかし平家滅亡後寺は兵火で全焼した、その後再建されたが、大2次世界大戦でで再度全焼している、"栄枯盛衰は世の習い"を地で行く寺です。
さて能福寺は兵庫大仏と呼ばれる日本三大大仏(奈良、鎌倉、兵庫)が存在しますが、これは明治24年地元の豪商の寄進で建てられたが大戦で供出の憂き目に遭い、平成3年に再建されている。また能福寺は江戸時代から旧院家の格式を誇る寺で、今の本殿は京都東山の月輪御殿にあった拝殿(月輪影殿)を九条家より拝領されたもので昭和29年に移築されている。

正面入り口
奥に見えるのが兵庫大仏
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兵庫大仏の勇姿
台座はビルシャナ殿
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開かずの山門
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本殿の月輪影殿
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ジョセフ・ヒコの英文碑
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平相国廟
平清盛の墓
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十三重の塔
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滝善三郎正慰霊碑
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平家、源氏将兵戦没碑
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本坊
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