ブダベストの夕日
さてタイトルですが、中欧旅行の際に見たブダベストの王宮の丘からの景色が忘れられずにつけました。 趣味の写真とコメントをアップしていく予定です.
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 定年退職後写真を趣味として初め、その写真をブログにアップすることを仕事としてきました。
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新西国霊場巡礼第13番 神秀山 満願寺
新西国霊場巡礼第13番 神秀山 満願寺
兵庫県川西市満願寺町7-1
阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅下車愛宕が原ゴルフ場行バスで満願寺下車すぐ
本尊 千手観世音菩薩 開基 勝道上人

御詠歌
むら雲は あとなくはれて 寺の名の 願ひに満つる もちの月の夜


諸願満足の霊場
 
 
 
 ここ満願寺は聖武天皇の勅願で全国60余州に諸願満足の霊場を建立させた勝道上人が摂津の國満願寺として開いた寺です。この寺は源満仲が摂津守として多田に居を構えことから、この寺に帰依し,多田源氏ゆかりの寺として有名になったようです。
新西国の人気投票で人気を博すほどの理由は見当たらないが、境内には年代の古い伽藍や仏像がたくさんあります。私はここ満願寺は新西国霊場巡礼をするまで名前も知らなかった寺です、寺にはまず珍しい形の仁王門から入ります。仁王門の先には本堂まで続く長い石畳の参道があり,本堂前の階段下は広い広場になっています、広場右側には観音堂があります。
さて仏像ですが、まず仁王門には鎌倉時代の木像の金剛力士像が、観音堂には平安時代の木像千手観世音菩薩像が、さらに本堂には平安時代の木像聖観音菩薩と十一面観音菩薩像が安置されています。
境内には室町時代の三廟があります、すなわち源満仲の子 美女丸、美女丸の身代わり幸寿丸、幸寿丸の父藤原仲光の墓とされている。さらに墓としては坂田金時の墓がありますが真偽のほどは
珍しい形の仁王門
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仁王門から続く長い石畳の参道
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本堂前の広場
正面に本堂、右手に観音堂
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観音堂 
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本堂
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開山堂と本堂
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三廟
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源氏ゆかりの七人の塔
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九重塔
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坂田金時の墓
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新西国霊場巡礼第12番 仏日山 東光院 萩の寺
新西国霊場巡礼第12番 仏日山 東光院 萩の寺
大阪府豊中市南桜場1-12-7
阪急宝塚線曽根駅から徒歩5分
本尊 こより十一面観世音菩薩 開基 行基菩薩

御詠歌
詣り来て 袖ぬらしけり 萩の寺 花野にあまる 露の恵に
 
供養の心を伝える萩の寺

 寺の歴史は行基菩薩が現在の大阪中津の里にお堂を建てて薬師如来を祀ったのが始まりとされている。このとき行基が初めて火葬の方法を民衆に教えたとされる聖地です。当時は淀川流域には萩が群生していたので仏様の供養に使ったされている、このため東光院は萩の寺と呼ばれ、長命人が多く参拝している。
特に有名なのが秀吉の側室淀君で萩を愛でるため、東光院をたびたび訪れている,萩の花に対する愛着は捕獲するものがないぐらいで、萩で筆を作り、写経するほどであったそうで、今では心願成就の筆として愛されている。
また正岡子規もここを訪れて歌を残している“ほろほろと 石にこばれぬ 萩の露”
さらにここを有名にしているのが、南朝の後醍醐天皇の死を悼み、女官たちが写経した紙で、こよりを編んでつくったとされる十一面観世音菩薩があります。
このように女性にもてはやされた寺は新西国に選ばれるいるように、巡礼して感じた。境内には北大路魯山命名の庭園"萩露園”があり、“大阪みどりの百選”に選ばれている。


山門
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本堂
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観音堂
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あごなし地蔵尊
わが国最古の地蔵尊
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道了堂
道了大権現、萩祭の祭神
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知恵の座禅石
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萩露園
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白萩
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赤萩
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参道
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新西国霊場巡礼第11番 二上山 當麻寺
新西国霊場巡礼第11番 二上山 當麻寺
奈良県葛城市當麻1263
近鉄南大阪線当麻駅から徒歩15分
本尊 蓮糸大曼荼羅 開基 麻呂子親王

御詠歌
極楽を いづくととはば 大和なる まるこのさとに ゆきてたずねよ

中将姫に招かれて

 ここ當麻寺は大和の國(日出づる国)と河内(日沈む国)を分ける二上山の麓にあり、二上山には2つの峯があり、その間に夕日が沈むことから西方極楽浄土の入口、すなわち死者のおもむく先と考えられた。このことを中将姫が蓮糸曼荼羅に著わしたとの伝説から當麻寺は当麻曼荼羅と中将姫の名で庶民にしたわれて、新西国入りのもとになったようです。
さて寺自体創建は聖徳太子の異母弟麻呂子親王が河内に建てた寺院を当地の移したのがはじめとされているが、もともとは当地の豪族当麻氏の氏寺であったようです。
その中で創建当時の東西の塔が今は院になっている西南院と中の坊に当時の姿をとどめいている貴重な寺です。伽藍も奥の院にある御影堂をはじめ本堂や講堂といった立派な建屋があります。
しかしここの見所は5月に行われる“当麻お練り”です、菩薩が中将姫命日に、本堂から山門近くまで造られた来迎橋を渡って迎える行事です。さらにここ當麻寺は牡丹の寺として有名で4月から5月は見事な牡丹が見られる。
山門から二上山を
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創建時からの東西の塔
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見事な本堂
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同じく講堂
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奥の院にある御影堂
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奥の院にある浄土庭園
春の姿
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同じく
秋の姿、冬の姿はまだ 、春、夏、秋、冬をそろえたい
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牡丹のある風景
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当麻お練りの様子
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新西国霊場巡礼第10番 仏頭矢間上宮皇院 橘寺
新西国霊場巡礼第10番 仏頭山上宮皇院 橘寺
奈良県高市郡明日香村橘
近鉄南大阪線橿原神宮駅からバス15分岡橋本下車すぐ
本尊 聖徳太子、如意輪観世音菩薩 開基聖徳太子

御詠歌
仏いで 花ふるには あるけるに 遠きくにとは 何おもうらん

聖徳太子が勝髪経を講義


 ここ橘寺のある場所は聖徳太子が生まれた場所であり、聖徳太子が建てた寺でもあります。そんなわけでここは奈良明日香村の観光寺でもあり、人気投票でも人気が集まるのは当然です。
現在の橘寺のあるところは聖徳太子の父用明天皇の離宮のあったところとされています、のちに推古天皇の命で聖徳太子が勝髪経を講義したと伝えられ、このときに庭に蓮の華が降り積もり、太子の冠が光り輝いたことから、推古天皇が驚き寺を建てるよう命じ、建てられたのが橘樹寺であったとされています。聖徳太子にはこのような伝説がつきものです。しかし創建は聖徳太子で太子創建七寺のひとつになっている。
創建当時は堂宇・伽藍が66棟で、東西八町、南北6町あったが度重なる災難で、今の姿になったとされるが結構大きな寺です。
橘寺の全景
彼岸花の季節は畔が赤一色に
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聖徳太子後誕生所の石碑
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昔大寺にしては小さな門
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太子堂と呼ばれる本堂
この中に本尊の聖徳太子像が
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太子の愛馬と観音堂
この愛がの像はよく見かける
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こちらが正門と呼ばれる東門
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善面と悪面のある二面石
善面は境内を、悪面は外を向いている
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聖徳太子講義時に三光を放った三光石
日、月、星の光
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どこも同じ形の塔芯跡
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蓮の華が積もった蓮塚
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新西国霊場巡礼第9番 鳥形山 飛鳥寺
新西国霊場巡礼第9番 鳥形山 飛鳥寺
奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682
近鉄南大阪線橿原神宮駅からバス15分飛鳥大仏前下車すぐ
本尊 飛鳥大仏 開基 蘇我馬子


御詠歌
うきことの 消ゆるもけふか 飛鳥寺 末やすかれと 祈る見なければ

わが国初の金剛仏“飛鳥大仏”

 ここ飛鳥寺は“飛鳥大仏”で知られている古刹です、万葉集の歌に出てくる天香久山、耳成山、畝傍山の大和三山が一望できる“甘樫の丘”の麓にある、今は小さなお寺です。しかし創建は蘇我馬子が排仏派の物部守屋を倒した翌年、馬子の発眼で完成した由緒ある日本最古の本格的寺院です。
昭和30年代の発掘調査では周囲南北3丁、東西2丁四方の築地塀で囲まれて,東西南北に山門があったことが証明されています。その築地塀の中に回廊に囲まれた東西2基の金堂とその間に塔と金堂があったとされています。しかし飛鳥寺が新西国に選ばれたのはそれ以前で、飛鳥大仏のおかげではと思います。
しかし今は狭い駐車場の一角にある小さな門から入ると右手に安居院と呼ばれる本堂があり、本当に、この中に飛鳥大仏はおられるのかと思うぐらい小さな本堂です、不思議です。本堂の横には観音堂があり、その横はすぐ裏門です、裏門の正面が甘樫の丘です。その間に蘇我入鹿の首塚があります。
話は変わりますが新西国の人気投票は当時の人は何を基準に投票したのか、今の感覚と違うようですが。やはり知名度、庶民性が頼りだったのでは最近思います。それはこの巡礼が終わり[残すは3寺です)に近づくにつれ思われる。
 
甘樫の丘から見た飛鳥寺
右下に本堂の屋根が
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飛鳥大仏の石標がある山門
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安居院と呼ばれる本堂
この中に飛鳥大仏が不思議です
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鋼造釈迦如来“飛鳥大仏”
火災に遭いつぎはぎだらけ
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観音堂
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蘇我入鹿の首塚
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首塚越しに見た飛鳥寺
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鐘楼
この前に本堂跡
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